「可能性」を追いかけない副作用とは?

こんにちは、末吉宏臣です。
今回は、「可能性」について、
お話したいと思います。

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人が「輝く瞬間」とは?
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あるコンサルタントの友人がいます。
年収も1000万を超え、業界の著名人も
クライアントに抱える優秀な方です。

彼と久しぶりに、
恵比寿でランチをしたときのこと。

遅れて席に到着した彼に、
少し違和感を覚えました。

何だかど~んよりとした
空気感をまとっていたからです。
話し始めてしばらくは、ほんの微かですが
目が虚ろで、あくびを押し殺すこと数回。

しかし・・・、
ある瞬間から、彼の雰囲気がいっぺん。
それは、「ある話題」を話し始めたこと
がきっかけだったのです。

その話題とは、
彼がどんな子ども時代を送ってきたのか。
そして、その過去を踏まえて、長期的には、
「子どもたちに講演をしたり、自分の経験を
活かして教育に携わりたい」
という可能性のことでした。

その話になってから、
表情も声の大きさや張りも別人。
部屋の温度が2、3℃上がったんじゃないか
と錯覚するくらいの変化でした。

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あなたは、最高の可能性をすでに知っている
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人が可能性に目を向けた瞬間の
素晴らしさを目の当たりにしました。

そして、私には映像が見えました。

持ち前のユーモアと論理性をめいいっぱい
に発揮して、子どもと親御さんたちの前で
講演をしている様子が。
そして、子どもたちの目に、
静かな希望の光が灯りはじめているのを。

しかし、しばらく熱く語ったかと思うと、
「でも、難しいよな」という一言を境に
またトーンが逆戻り・・・。

とっても残念な気持ちになりました。
しかし・・・、

「自分だって、
同じようなことやってないか?」

そんな風に考えると、「うーん…」
人のことは言えなくなりました。

私が見たような未来の_現実は、
彼が、自分の可能性を追いかけ始め、
一歩ずつ前に進み続けなければ、
立ち上がりません。

言い換えると、
自分が可能性を信じなければ、
起こらない出会いや出来事がある
ということなのです。

正直それは、もったいない!

だって、彼の中に最高の可能性は、
「すでにある」のですから。

それは、表に出してあげないと!

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想像してみてください。
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少し汚い話ですので、
食事中の方は食事を終えてから先へ。笑

お腹の中に「すでにある」ものを
ため続けていたらどうなりますか?

最初は、ちょっとしたお腹の張り…。
でも、それを続けるとどうなりますか?

たぶん、張りが痛みになり、
痛みが悶絶するような激痛に変わり、
もうその後は、想像したくもありません。。

「本当はやりたいこと!」を
亡きものにしたり、ため込んでしまうと、
自家中毒を起こしてしまいます。

便で例えたような体の痛みはないと思います。
しかし、魂みたいなものがあったとしたら、
その魂は痛んでいるかもしれません。

だからぜひ、
健康的に表に出してあげましょう。

「あなたの最高の可能性は何ですか?」
「可能性を追いかける簡単な1歩は?」

ぜひ、考えてみてください。
そしてできれば、実際に
最初の1歩を踏み出してみてください。

きっと自然に、笑顔が増えたり、
声にハリが出てきたりすると思います。

そして、最高の可能性が、
現実になる方向へと確実に動きはじめます。