書くことは、存在を分かち合うこと。

今は、深夜1:06。
お風呂から上がって、少し寒い部屋の中で、
パソコンに向かいこの文章を書いています。

なぜかわからない。
なぜだかわからないけど、
ぼくは文章を書きたくなる。

脅迫観念のように感じることもあるくらい、
文章を書かないと嫌な気持ちになるのです。

その理由を考えてみたけど、
明確な答えは見つかっていません。

だけど、やっぱり書かないと気持ち悪い。

ということで、書くこととは何か、
「今の時点での答え」を見つけてみたい
と思いこの文章を書いています。

憧れる人は・・・。

ぼくは昔から本の虫でした。

なぜか中学生、高校生時代から、
松下幸之助さんや竹中平蔵さん、
神田昌典さんや大前研一さんの本など、
ビジネス書、自己啓発書を読んでいました。

その時から憧れていたのが、
神田昌典さんと本田健さんでした。

そして、時は流れいま。

もちろん、神田さん、健さんは
今でも大好きで読んでいます。

最近は、糸井重里さんや古賀史健さん
の文章に心惹かれて、よく読んでいます。
(古賀さんは嫌われる勇気の共著者です)

二人の共通点を考えてみました。

・ほぼ毎日、文章を書いている
・エッセイ的な文章である

もう少し深い分析もしてみましたが、
それは別の機会にでも。

よく考えてみると、これは、
ぼくの目指す発信のスタイルでした。

毎日、等身大にそこにいる。

糸井さんは、「ほぼ日」で1998年の創刊以来、
1日も休まずにエッセイを書き続けています。

そして、古賀さんは最近、「note」という
プラットフォームで、ほぼ毎日投稿を続けられてます。

それぞれが、等身大に、
そこに「いる」のです。

糸井さん、古賀さんにはお会いしてないけど、
文章というものを介して、存在を感じます。

とすると、、、
書くことって、存在を分かち合うこと、
なんじゃないかと考えています。

文章には、

「考え方」や「活動」や「気持ち」が

表れています。

その人の心根や人柄が、
何となく透けて見えます。

だから、ちょっと怖さもあります。

「わかってもらいたい、、、」
とか
「売りたい、、、」
とか
「すごいと思われたい、、、」

という気持ちも、隠し切れず、
毛穴からにじみ出てしまったりします。

でも、そんな風に書くことを通して、
存在を分かち合おうとする人たちに、
勇気や信頼感を感じるのです。

その在り方に、なぜか心惹かれます。

だから、その気持ちに従って、
これからも、書き続けようと思います。
そして、情報発信を通して、
自分を分かち合う人に寄り添いたいと思います。

今日もブログに来てくださり、
ありがとうございました。

メンターである本田健さんが松下幸之助さん
について書いた「運命をひらく」を読んでいます。
2人の響きあいが、読者であるぼくにも
心地よく響いてきます。

お知らせ。

糸井重里さんの「ほぼ日」は、こちら。

ほぼ日を覗く。

古賀史健さんの「note」は、こちら。

古賀さんのnoteを覗く。