人類が滅亡するまで生きたい。

センター試験を翌日に控えた日の夜。ぼくは同級生と一緒に深夜まで雑談に花を咲かせていた。小さな地方だがいちばんの進学校に通っていた学生としてはあるまじき行為。逃避なのかもしれないけれど、ぼくの記憶には鮮明に刻まれている時間だ。

いまでもそのメンバーの顔や宿泊していたホテルの部屋の雰囲気を思い出すことができる。ただ、いろんなことを話していたと思うのが、話題はほとんど覚えていない。そんななかで、たった一つだけ覚えているのが、「人類が滅亡するまで生きたい」という密かな願望を告白したという事実である。

その理由は、ものすごくシンプルなもので。

① 人類がどんな進化(もしくは退化)をしていくのか、その過程をすべて見てみたい。

② 人類はどんな形で終わりを迎えるのか、見届けたい。

そこに単純な興味がある。なぜそんなことに興味があるのか、そんなことには興味がない。ただただ知りたい、それだけだ。

これを読んだあなたがどんな反応をするかわからない。ただ、(ごくごく少数の人にはこの想いを打ち明けてみたけれど)ポカーンとされることがほとんどだった。だから、あえて(じぶんから)こんな話をすることはなかった。する必要もないし、求められてもいないし。もっというなら、そんな考え方に共感してもらえるはずもない…と不安や恐れを抱えていたともいえる。

ではなぜ、このような不特定多数の人が見る(可能性のある)オープンな場所でこのような告白をしているのか?

もっとじぶんをオープンにしたほうがいい。
変わってるじぶんとして、もっと素直に生きたほうがいい。

そんなようなことを奥さんに言われたからだ。

と、こんなことをサラリと書いているように思われるかもしれないが、言われたことを受け入れるまでには時間がかかった。

「いやいやいやいや、そんなことはいちいち(もしくは、いきなり)言うものじゃないし」とか、「でも、最近はかなり言っているつもりだよ」とか言い訳をいくつも並べた。ムッともしていた。

だけど、何度も言い訳を嚙み砕き、飲み込み、彼女の意見を受け入れた。

確かにぼくは、尖ることを避ける傾向がある。思っていることをまっすぐには出さないことが多い。そうやって、尖るというよりもバランスを取ってしまう。ビビってしまうのだ、我ながら情けないことに。

だからもっと、ドーンとじぶんの思ったことや感じたことや言いたいことを、まっすぐに出していこうと心に決めた。(それはすなわち、もう少しこの世の中やまわりの人たちを信頼していこうということでもある)

ということで、ぼくは人類が滅亡するまで生きれるんじゃないかと信じている。というか、人類が滅亡するまで生きられないとは思えないのだ。

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とっても嬉しく、緊張する年賀状が届きました。こちらです。

これは、イラストレーターであるチカツタケオさんのイラスト年賀状です。ちなみにこのブルーボトルのデザインは東野圭吾さんの『素敵な日本人』の装幀画。年末に対談企画が実現し、いまちょうど原稿化の真っ最中です。

ぜひともお楽しみに! と言いつつ、どんな形に仕上げていくか緊張しますね〜。

【チカツタケオさん Web Gallery】
http://www7b.biglobe.ne.jp/~chikatsu/index.html