タフな生き方。 〜たちの悪い罠に立ち向かう〜

とある日のツイッターのつぶやき。

ちょうどいま、読んでいる最中の
『ロング・グッドバイ』レイモンド・チャンドラー
に出てくる何気ない一行だ。

フィリップ・マーロウという私立探偵の物語。

決して派手な小説ではない。
逆に、淡々と淡々と進行していく。
その分、物語の描写が綿密で密度が濃い。

それはほんとうに素晴らしいが、個人的には、
マーロウという人が純粋に好きなのだ。

一言で言うと、タフな男。
ハードボイルドなイメージ。
男が惚れるいい男なんだ、彼が。

さて、フィリップ・マーロウシリーズについては、
また別の機会でしっかりと書いてみたいと思う。

今回は、このつぶやきだ。

誰か別の人が仕掛けた罠よりも、
じぶんでじぶんに仕掛けた罠は、
これ、なかなかにたちが悪い。

たとえば、これだ。
糸井重里さんが紹介されている、このことば。

『多忙は怠惰の隠れみのである』

「あー、忙しい忙しい」と、ぼくもよく思う。
しかしこのとき、さも誰かが、何かが、
ぼくのことを忙しくさせている気になっている。
それも厄介なのが、無意識のうちにということだ。

でも、この「多忙」という罠を仕掛けたのは、
大本に立ち返って考えてみると、そう。

じぶん、だったりする。

もちろん、すぐさま、暇を作ったり、
時間的な余裕を持てるようにするのは、
いささかむつかしいとは思う。

でも、ほんとうは考えるべきことを
避けてしまう怠惰の隠れみのになっていないか、
押し寄せてくる嫌な感情に負けることなく、
立ち向かって、考え抜きたいものだ、時折は。

「このままの働き方でいいのか?」
「このままの関係性でいいのか?」
「このままのお金の使い方でいいのか?」

今日もブログに来てくださり、
ありがとうございました。

ぼくの隠れみのは、なんなんだろう?