護り持つ、ということ。

大阪を拠点に活動している友人
神村昌志さんと東京でお茶。

神保町帰りという彼は、
ラウンジの席に着くなり、
購入した古書を見せてくれました。

タイトルの漢字、現在は、
もう使われていないそうで。

他にカバンから出てきた本たちも、
時代を感じさせるタイトルや表紙ばかり。

彼の口から次々と語られる
歴史、哲学の知見の広さと深さには、
正直言って、舌を巻きました。

その人のなかに眠っている知恵を、
引き出し、まとめることに関心を持つ
ぼくは、よだれが垂れそうでしたね。

どこかで、彼の知見をわかりやすく、
伝えていく場ができたらいいなと思います。

さて本題は、その本のなかに
書かれていたことばがいいぞ! 
ってことなんです。

どのことばも、いまの時代にも、
全然通ずる内容ばかりですよね。

このなかにある、
正法を護持することの
「護持」ということば。

ほんとうに、
ただただ個人的に、
すごくシビれました。

なんて素敵で、
いいことばなんだろう。

護り(守り)ながら、持つ。

パッとイメージがわいたのは、
オリンピックのときの「聖火」でした。

ランナーはじめ、関係者全員が、
その炎を大切に守り保とうとします。

なんだったら、見ている人たちの
祈りもこもっている感じもしますしね。

ただ「持つ」じゃない、
「護り持つ」んだ。

日本語って素敵ですね。
そしてもっと、昔のことばを
たくさん知りたいなと思いました。

今日もブログに来てくださり、
ありがとうございました。

じぶんが護り持つべきものは、なんだろう?
なんてことを考えはじめてしまいます。

お知らせ。

5月28日(日)14時〜
「売れる電子書籍の作り方」

電子書籍作りは、じぶんの経験を棚卸しして、
価値を言語化するとってもいい機会になります。