まだ日本が石炭で動いていた頃、
石油に注目して商売を始めた若者がいた。
その若者は最初は街の工場に
工場の機械を動かす燃料として
石油を売りにいっていたものの、
すでに取引業者が決まっていた
各工場からは、毎日つまみ出される始末。
もはや絶体絶命、という時に
圧倒的な低価格で、軽油がそのまま
船の燃料に使えることを発見。
あたりで有り余っていたという
軽油を安く買い叩きまくる。
しかし、船の燃料といえども
地場の取引業者が決まっていて
取引できないため、
陸上での取引を諦めて
なんと、海の上で、船の上で、
直接、安く販売することを思いついた。
その若者は、不合理な業者間のしがらみや
取り決めを一切無視した豪胆なやり口で
「海賊」と呼ばれた。
仕事は作るもの
石油販売の勢いはとどまるところを知らず、
戦争の時代に突入した時も
単身、満州のはずれに行って
世界的な企業の取り扱う石油が
零下20度で凍ることを知り、
凍りつかない油を精製。
既存の油は凍結して車軸が燃える、と助言、
嘘だったらどうにでもしろ!
と半ば喧嘩するようにして
条件を叩きつけた結果、
本当に燃えたことを契機に
満州の大陸に販路をのばす。
いっちょやったるか!の行き着く先
終戦後の戦後復興の最中に
石油の輸入が止められた上、
自力での、当時輸入を頼っていたアメリカからの
石油輸入が国内企業は実質上は不可能、
もうこれまでか、と思った時
「いっちょやったるか」
という言葉が脳裏を過ぎる。
すると、
アメリカから石油が買えないなら
別の場所から買えばいい、
とばかりに
当時英国統治により搾取を受けていた
イランに独自にタンカーを走らせることに。
当時は英国から
「イランからの石油を乗せた船は全て迎撃する」
と宣言された中での決死の結構だった。
社員の中からは
「また戦地に向かうのか」
と激昂する社員もいる中、なんと、
石油の輸入に成功。
腹心の中には、
「昔を思い出す、なにしろ店主は、
起業家の皮を被った海賊やけえ」
とほくそ笑むものがいた。
この件は、日本の石油輸入に関しての自立、
要するに、日本国の経済的自立を
一民間企業が救った・・・
ということで当時世界的な話題になった。
モデルは実は超有名企業
ご挨拶遅れましたけどこんにちは。
イサです。
これ、
最近話題になった映画、
「海賊と呼ばれた男」
のシーンの一部の数々なのですが
このお話、なんと、今はかの有名な、
出光石油の話なんだそうです!!
こんなことして今に至る企業があるなんて!!
力がみなぎりました。
上映中、体温が3度上昇しっぱなし。
典型的な、いい映画だけど
プロモーションにまで予算が回らなかった日本映画
って感じです。
これを見て、仕事ってなんだろう・・・
とかなり考えさせられました。
同時に、毎日の仕事を満足にこなせてない
自分のちっぽけさも思い切り痛感させられました。
全日本国民に見て欲しい・・・。
残す所、劇場公開の日数もわずかと
思いますので、ちょっとでも興味の湧いた人は
是非とも劇場に足を運んでみてください!
お知らせ。
いっちょやったるか!と闘志がみなぎってきた方は
是非とも一度、リニューアルしたオンラインサロン、
「宏臣 編集会議」をのぞいて見てください!