自分で自分に仕掛ける罠が、何よりたちの悪い罠なのだ。(『ロンググッバイ』レイモンド・チャンドラー)
— 末吉 宏臣 (@hiroomisueyoshi) May 27, 2017
とある日のツイッターのつぶやき。
ちょうどいま、読んでいる最中の
『ロング・グッドバイ』レイモンド・チャンドラー
に出てくる何気ない一行だ。
フィリップ・マーロウという私立探偵の物語。
決して派手な小説ではない。
逆に、淡々と淡々と進行していく。
その分、物語の描写が綿密で密度が濃い。
それはほんとうに素晴らしいが、個人的には、
マーロウという人が純粋に好きなのだ。
一言で言うと、タフな男。
ハードボイルドなイメージ。
男が惚れるいい男なんだ、彼が。
さて、フィリップ・マーロウシリーズについては、
また別の機会でしっかりと書いてみたいと思う。
今回は、このつぶやきだ。
自分で自分に仕掛ける罠が、何よりたちの悪い罠なのだ。(『ロンググッバイ』レイモンド・チャンドラー)
— 末吉 宏臣 (@hiroomisueyoshi) May 27, 2017
誰か別の人が仕掛けた罠よりも、
じぶんでじぶんに仕掛けた罠は、
これ、なかなかにたちが悪い。
たとえば、これだ。
糸井重里さんが紹介されている、このことば。
『多忙は怠惰の隠れみのである』
「あー、忙しい忙しい」と、ぼくもよく思う。
しかしこのとき、さも誰かが、何かが、
ぼくのことを忙しくさせている気になっている。
それも厄介なのが、無意識のうちにということだ。
でも、この「多忙」という罠を仕掛けたのは、
大本に立ち返って考えてみると、そう。
じぶん、だったりする。
もちろん、すぐさま、暇を作ったり、
時間的な余裕を持てるようにするのは、
いささかむつかしいとは思う。
でも、ほんとうは考えるべきことを
避けてしまう怠惰の隠れみのになっていないか、
押し寄せてくる嫌な感情に負けることなく、
立ち向かって、考え抜きたいものだ、時折は。
「このままの働き方でいいのか?」
「このままの関係性でいいのか?」
「このままのお金の使い方でいいのか?」
今日もブログに来てくださり、
ありがとうございました。
ぼくの隠れみのは、なんなんだろう?