ある日のツイッターで、
こんなことをつぶやいた。
世界に悲しみや怒りがいっぱい見えるなら、だいじょうぶだ。まだ、心が息をしている証拠だから。心が生きてさえいれば、楽しさや喜びもいっぱい見つけることができる。きっと。
— 末吉 宏臣 (@hiroomisueyoshi) April 6, 2017
イライラすることはある。
ささいなことから、深刻なことまで。
かなしいことについても同じだ。
スタバの行列でずいぶん長く待たされるとき。
部下が思った通りじゃない資料を出してきたとき。
パートナーが「早く片付けてよ」と言ってきたとき。
ほんとに、ささいなことで、
ぼくの感情は動いてしまう。
感じやすい心、感じにくい心。
ネガティブな感情を感じるのは、
非常に居心地が悪いものです。
心を凍りつかせて、感じなくしたい。
なかったことにしてしまいたい。
そんな気持ち、よくわかります。
し、無意識のうちにやっているなぁ、
というのが正直な自己分析ですね。
そうすると、厄介なこともあります。
感じにくい心は、
ネガティブなものだけなく、、、
嬉しい、楽しいといったポジティブな
感情も感じにくくしてしまうからです。
毎日の色彩が薄くなってしまいます。
逆に、感じやすい心は、
ポジティブもネガティブも
区別なくぞんぶんに感じます。
きっと、躍動感のある毎日になるはず。
おばあちゃんのやさしさで包む。
だから、ネガティブな感情も
心の玄関から締め出すのではなく、
「よく来たね」と歓迎してあげたい。
田舎の実家で、孫を迎える
おばあちゃんのようなやさしさで。
そうしたらば、
怒りやら悲しみやらの感情も
あばれ狂うことなく、
おとなしくなると思うのです。
こんなふうに書いていると、
じぶんが感情になった気がします。
感情の立場に立ってみても、
やさしく受け入れてもらえたら、
暴れまわる気がなくなると思いました。
感情との付き合い方、
もっと研究していきたいものです。
今日もブログに来てくださり、
ありがとうございました。
これから、コピーライター西島知宏さんの
「思いつかない人のコンテンツ塾」へ。
関係ないけど、開催場所の
DMM新社屋すごい!