宿命という奔流に抗う。

昨日のコンテンツ会議の投稿である
「書くことは、自己治癒の旅路である。」
たくさんのコメントやメッセージをもらった。

その返信のなかで、こんなことを書いた。

「『末吉宏臣、村上春樹に会いにいく』
をオーダーしてみました。ドキドキ」

冷静に考えてみよう。

「なんて恥ずかしいことを
 言っているのだ、おれは」

である。

心の奥にあるほんとうの思い。

ぼくだって、そういう思いを持っていると
認めたくなかったし、書きたくなんてなかった。

なかったことにできたら、
どれだけ楽だったろうか…。

おっきな課題を設定すればするほど、
やらないといけないことや
感じないといけないことが
それに比例して大きくなるからだ。

村上春樹さんの言葉を借りるなら、
「コミットメント」が必要になる。

さっきも書いたように、
「こころ」と「からだ」両面の
コミットメントが求められる。

井戸を掘るというか、
器をでっかくするというか。

でもまた、、、

これらも単なる言葉だ。

書いていて、虚しさを感じる。
すごくもどかしい気持ちにもなる。

でも、書く。

考えを止めない。
動きを止めない。

ここから、ナニカが見えると信じて、
それこそ、癒しの旅がはじまると信じて。

宿命という奔流に抗う。

この毎日のエッセイを書くことが、
ぼくにとっては自己治癒の一種だ。

出来事の意味を読み解くことであり、
無数に伸びる未来へのメッセージを解読し、
今や明日の思考と行動の丁寧に選択をする。

この記事を書くことは、
大きな助けとなってくれている。

もし、この文章を書いていなかったら、
目の前の時間や出来事や出会いという流れが
もっともっと勢いをましていくことだろう。

そして、宿命という抗うことがむつかしい
奔流に飲み込まれてしまうのではないか。

ぼくにとって書くことは、命を生かすことだ。

今日もブログに来てくださって、
ありがとうございます。

村上春樹さんの世界観に触れて、
これまでとちょっと違う感覚世界に
アクセスしている感じがします。

どれ、もう少し井戸を掘ってみようかな。