自宅のテーブルでパソコンに向かう
ぼくの目の前には、これが置かれてある。
ちょうど1週間前くらいに、
「欲しい」とつぶやいた代物です。
やっぱり、なんだか、心惹かれます。
不思議とボーッと眺めていられるのです。
下のヤツは、なんでこんな顔が歪んでるんだ?
かと思うと、上のヤツはちょっと笑ってる?
ツノ? アンテナ? っぽいのは一体なんだ?
よくわからない手みたいなヤツに関しては、
「わーい!」って声が聞こえてきそうな角度。
謎が多く、単純に「こう!」と言えません。
もちろん、このモニュメントの意味を、
グーグル先生に質問したら、
出てくるのかもしれませんが、
つまらなくなりそうなんでやめます。
「素材のまま」の味付けで。
そのまんま眺めているって、じつは
大切なことなんじゃないかと思うのです。
解釈やら分析やらを挟まないということ。
ただ単に鑑賞するということ。
解釈やら分析を入れるということは、
なんだか「素材の味」をたのしんでいない、
そんなふうに感じるんですよね。
と言いながら、ぼく自身は、解釈や分析を
しないではいれないタイプの人間です。
そう思いながらも、ともすると、
じぶん好みの味付けにしたくなります。
ぼくの場合は、ソースやらマヨネーズ、
味が濃いものをやたらとつけたがります。
味付けと解釈の仕方が似てるかわかりませんが、
あっさりというよりは、ちょっと盛り気味の
解釈になってしまうことが多いようです。
だけど、いやだからこそかな、
じぶん好みの味付けをせずに、
素材をそのまんま丸ごと食べて、
味わってみるということをしたいと
最近ちょっと、思ったのかもしれません。
松下幸之助さんの「素直な心」に通ずる。
松下幸之助さんも同じようなことを仰っています。
たとえば、自分なりの知識、学問という色ガラス、自分の欲望なり利害損失という色ガラス、一つの主義思想という色ガラス、というようなさまざまな色のガラスやゆがんだガラスをとおして物事を見、考えている場合が非常に多いのではないかと思います。
松下さんは、その反対の物事の見方や
考え方を「素直な心」と呼んでいて、
そんなふうに松下さんは語っています。
今日もブログに来てくださって、
ありがとうございました。
最近は、以前よりもクラシックや
ジャズが好きになりました。
なんでだろう?
理由を分析しようとして、やめました。