あえて書かないという選択。

いいぞ。今日はポンポンと書くアイデアやらネタが見つかる。いいぞいいぞ。

ただ、もし許されるならば、、、

我が頭よ、もう少し均等にアイデアを与えてくれ賜え。

そうお祈りしつつ、今日の原稿を書きはじめようと思う。ということでまず最初は、こんな話のタネを頭という花壇に蒔いてエッセイ原稿という花を咲かせようと思った。そのタネはこんな感じ。

「あなたは父的な人? 母的な人?」

ある日のエッセイのコメント欄に、「末吉さんはお母さんみたいな存在ですね」という旨のコメントがついた。性別はもちろん違えど、不思議と納得してしまったのだ。うーん、たしかにそうかもね〜と。

じゃあさ、「お母さん的な人、お父さん的な人ってどんな存在なの?」というテーマについて話を展開させようと、あーだこーだと考えた。考えたのだけれど、このタネはもうちょっと土のなかで水やら養分を欲していそうな感じがしたのでそのままにしておくことにした。

と、ここまで書いてほんとうは、「象徴的なキャラクターを生み出すメリット」みたいな話を書こうと考えていた。しかし、先ほどまで書いていた話のなかに「ナニカ」を見つけたので急遽、そちらについて書くことに決めた。

「あえて書かないという選択」

これがそのテーマだ。冒頭に書いたように、今日は調子がいい。エッセイの原稿を書きたいモードの一日だった。だから、10個くらいは原稿のネタを見つけていた。でも結果的には、その10個とも「書かない」ことにした。じゃあ、その10個は消えてなくなったのかというとそんなことはない。

いくつかのタネを、頭という花壇に蒔いているのだ。

いろいろな人の話を聞いたり、さまざまな本を読んだり、いろんなものを見たり聴いたりするたびに、その花壇に陽の光が降り注ぎ、お水が撒かれるのだ。するとね、いつの間にかそのタネが芽吹き、すくすくと成長し、色とりどりの花を咲かせたりする。

だからまずは、ちゃーんとタネを蒔こうよ。

そうしなきゃ、そこに花は咲かないよ。

変に急がないことが大事なんじゃないかな。じぶんのことを振り返ってもね。焦って芽を出させようとしても、ただその芽を潰すだけだったりするから。