ひとりの時間は、たいてい不安だ。
ここしばらく、ぼくの相棒は『カラマーゾフの兄弟』、『罪と罰』、そしていまは『悪霊』である。言わずもがな、ロシアの文豪ドストエフスキーの小説たちだ。そしてどれも、どんより暗い、重い。(実際的な重量も重い)
7、8月の真夏が終わり、秋の匂いが漂いはじめた9月も過ぎて、もうすっかりと秋が深まった10月も中頃。夏の盛り上がりと競争するかのように、ぼくのスケジュールも盛り上がっていた。毎日がお祭り状態で、3人〜5人と会っては打ち合わせ、取材、ミーティング、イベント三昧。その合間に、書籍の編集や動画のチェックをしたりとてんやわんやだった。
幸か不幸か長引いた風邪がきっかけとなって、いつの間にか、ぼくの日常は様変わりしていたみたいだ。ずいぶんと静かになった。ひとりきりの時間が増えた。
ひとりの時間は、孤独だ。(そりゃそうだ)
孤独なとき、ひとはじぶん自身と対話するしかない。
忙しいときには、ごまかしごまかしやってこれたことが、孤独なときには、目を背けることができなくなる。将来の不安やら直面しなければならなかった問題やら、弱気なぼくがおずおずと声をあげる。
でも彼は、ハキハキとわかりやすく説明できない。ぼんやりとどんよりとした声をあげてくる。「よくわからないんだけどね、なんだか不安なんだ」って。
そうしていると、そわそわそわそわ。不安の真っ只中にいるのは居心地が悪いから、じたばたと動き出したくなる。逃げ出したくなる。
でも彼もまた、やっぱりぼく自身。
隣に腰を下ろして、じっと彼と一緒にいよう。
そうしてまたぼくは、ずしりと重い『悪霊(上)』を手に取り、前回はさんだしおりを探す。ずいぶんと冗長な描写表現を一行、また一行と読みはじめる。
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あらためて、古典文学の重みのようなものを感じています。物語が体のなかに積もり重なっていく感覚です。
そういうこともあり、ほぼ日の『ほぼ日の学校』がどんな展開を見せてくれるのか、とっても楽しみにしています。