〜 1時間目 感情ってなに? 〜

あなたは「感情」ってなんだと思いますか?

感情と上手に付き合ってますか?

もし上手に感情と付き合っていくことができたとしたら、人生はどうなるのでしょうか。

人が生きていく上でとっても大事なことなのに、なぜだかあまり学ぶ機会のない
「感情」について、末吉がカウンセラーの細川一滴先生に色々聞いていく新企画、

『 感情の学校 』はじまります!

≪感情の学校 1時間目≫

末吉:
細川一滴さん、本日はよろしくお願いします。

一滴:
よろしくお願いします。

末吉:
今回は、まず一番最初に、僕が一滴さんを世の中に「一滴さんってこういう人なんだよ」「こんなすごいんだよ」というところを、もし切り出すとしたら、「感情の先生」っていう感じなんですよね。
そこで、まず一滴さんに一番聞きたいのは、「感情」ってなんなのか、っていうことです。「どういう風に考えてるのか」っていうのは、ぜひ聞きたいな、と思うのですが。

一滴:
はい、ありがとうございます。そうですね、「感情」っていうのは生命エネルギーだと思ってるんですね。「人が生きてたら絶対に出てくる」っていうもので、それを抑えると死んだような感じになるのではないかなと思っています。

末吉:
なるほど。
じゃあ、感情がエネルギー源というか、活力だとすると、エネルギッシュになってる人は、感情がすごく豊かな人ってことなんですか?

一滴:
そうとも限らないんだけど。表現の仕方は様々なんですよね。
普段考えてるのは、感情って、「水みたいなもの」なのかなって。ペットボトルに入ってる水のようなもの。この水を、熱くして飲む人もいるし、冷たくして飲む人もいる、というような感じです。
使い方は様々なんだけど、水がないと死んじゃうよね、というような。

末吉:
人間が。

一滴:
そうそう。
ただ、持ってるだけでも生命力はある、ということになるんだけど、それを表現してなかったら、そういう風に見えない人もいるかもしれないですね。感情が豊かな人であっても、「私、感情豊かなんです!」というとは限らないですからね。
「静かに瑞々しい水を私は持っています」っていう感じで、表現はしないけれどもちゃんと感じてる人っていうのは、はたから見ると感情がないように見えるだけで、そういう人が「感情がない」というわけではないと思います。
特にトレーニングを積んだりとか修行をしたりとかして仙人みたいになっちゃった人もいるかもしれませんけどね。

末吉:
なるほどね。感情っていうのはそういう、水のようなものだと。

一滴:
水エネルギーみたいな感じですね。
水って色々使いようがあるよね。高温にして体にかけたら火傷するし、冷たくしたら夏は上手い、とか。

末吉:
なるほど、料理とかにも、もちろん使いますしね。
他にも、一滴さんとお話をしてて思ったのが、「全ての感情が必要とされている」ということ一滴さんが話していたことがあったんですが、それって面白い表現だと思いました。

一般的には、僕も悲しい感情とか怒りとか、すごい嫌な感じだから、そういうものは、あんまり感じたくないと思うんです。いっそのこと無い方がいいのかなっていう風に感じたりするときもありますし。
だから「全ての感情が必要とされてる」という話を聞いた時に、「ああ、そうなんだ!?」って感動したんです。この考えにはどんな風に行き着いたんですか?

一滴:
僕、人間ってすごい進化した動物だと思ってるんです。これだけ進化して地球上の生物のリーダーとも言えるような「人」が「持ってる」っていうことは、それは「必要なこと」でなければありえないだろうな、という感覚なんですね。
そうやって色々自分なりに分析してきたんだけれど、人によってはネガティブな感情が嫌だ、とかありますよね。僕はどっちかっていうとポジティブな感情が苦手だったりするんですけど。
まさに、そういった感情が、育つ過程で経験した出来事によって出来るんですよね。
僕個人の例えでいえば、ポジティブな感情を感じた時に叩かれたから、「あ、ポジティヴなことがあっても、そういう風に思っちゃいけないんだ」っていう連想ができてしまった。

末吉:
そこでの「ポジティブ」って「うれしい」とか「楽しい」とか「イエーイ」みたいなものですか?

一滴:
そうそう。
兄弟の中でのそんな経験だったから、「あ、自分は、そういうことを言っちゃいけないんだ」となっていきます。逆に落ち込んだときにも「泣いちゃダメだ」って怒られたりしたんですけどね。

色んなストーリーがあると思いますけど、「そこにいちゃダメなんだ」って心の中で強く感じた人が、例えば「ネガティブな感情は感じないぞ!」と心に決めた場合、常に自分の感情を「ポジティブ」側に振るようになっていくんですよね。

本当はその感情自体は生命エネルギーなので、どっちが良いとか悪いとかではなく自然なものなのですけど。
僕なんかは特にネガティブな感情が好きで、笑 そこに浸かっていたこともあるんです。
なぜ好きかというと、ネガティヴって、そこに大事なものがあるから感じるんですよね。
ネガティブな感情って悔しかったり怒りだったり妬みだったり、何か分からないけど、どんな人にもありますよね。それは、何か大事なものが奪われたり、傷つけられたりってことがあるからこそ、生まれるものではないでしょうか。

だからこそ、ネガティヴな感情というのは、辿っていくと、その人の大事なものにしか辿り着かない、という結論になるんです。

末吉:
なるほどー、、、それは面白いですね。感情を色々見ていったり紐解いたりしていくと、その人が大事にしているものにぶつかる、ということですか。

一滴:
そうなんですよ。
でも、それはそういうことが分かってないと多分出来ないのですが、分かるまでにはトレーニングを積むか勉強するかしかありません。しかも、勉強といっても、これは体感的に分かってないと、教科書を読んでも分からないかもしれないですね。


末吉:

そうですよね。
多くの人は感情に振り回されてたり、「これはダメ」というように否定してしまうかの「どちらか」のような感じでしょうね。
そもそも、それが大事なものに至っていくための手がかりになる、っていう視点はあまりないでしょうし。
それをさっき一滴さんが言ったように、学んだりトレーニングしたり、ということが大事だけど、実際にしている人は少ない、ということなんですよね?

一滴:
なので、僕は出来る範囲でそれをやっているんですけれどね。

末吉:
そうですよね。
それが、僕が一滴さんを「感情の先生」だってお話をしたのと、もし、この対談に名前を付けるなら「感情の学校」みたいな感じになるのかな、という風に思った理由なんですよね。

さらにもう一つ、こういった、一滴さんがいう、「その人の大事なもの」に至るために、じっくりと感情に浸るために、リアルでもいいし、オンライン上でも、どんな形でもいいんですが、どういう場所を作りたいと考えているか、お聞きしても良いですか。

一滴:
僕がいってることは、感情を辿ると大事なものに辿り着くっていうことです。そうなると、これは仮説であって僕の個人的な思い込みかもしれないですけど、結論として、人の中心には「愛」しかないと思っています。
すると、その、「愛」とでもいうべき、人の中心にある光みたいなものが何か言ってるんですよね。

感情を辿っていくと、この声が聞こえるはずなんです。

だけど、この声ってすごい小さいんです。
会った人みんなに言っているんですけど、そうした声って、すごく耳を研ぎ澄まさないと聞こえないんですよ。そうでないと、すぐに「社会の声」「会社の声」とか「常識」とか「親の声」とかで「わっ」って消されちゃうんですよね。
か細い、ろうそくの炎みたいな感じなので。

それを守ってあげて、耳を傾けつつ、育ててあげてはどうだろう、ということを言っていきたいと思ってるんです。その活動をは、例えるなら「保育器」みたいなものです。
未熟児がそのままだったら死んでしまうのと同じように、大事に育てなくちゃいけないからです。
だから、もし僕がそんな場を作るとしたら、それを大事にして「育む」ような「保育器」のような場を作りたいな、と思います。

末吉:
でも、それぐらい大事にしないと、確かに、感情の声ってすぐに消されてしまうというか、押しつぶされるというか、聞こえなくなっちゃいますよね。

一滴:
しかも、厄介なことに、自分で自分の声をかき消すように、本人の言動には「捻り」が入るんですよね。
例えば、ありがちなのは「寂しい」という感情があったとして、パートナーとか恋人とか奥さんが家で待っている場合。遅くなって帰ってきたパートナーに、「寂しかった」と言えばいいのに怒ってしまったりする。

末吉:
分かるー。

一滴:
「電話しろ」とか「帰ってくるって言ったでしょあんた」という具合に。笑 
こんな風に表現に「捻り」が入っちゃうのがちょっと曲者です。これはトレーニングしないと読み解けないんですよね。
特に男性は読み解きにくいです。言葉通りにとってしまうので。

末吉:
そういうのがきっかけで起こってる家族の不和だったり、夫婦関係に亀裂が入ったりとか、喧嘩の元になっていることは本当にたくさんありそうですね。

一滴:
めちゃめちゃ、あるでしょうね。

末吉:
これって仕事仲間とかでもありますよね。

一滴:
あるでしょうね。

末吉:
例えば、僕なんかが仕事でよく目の当たりしてきたのが、経営者の方の例です。今思いつく例でいえば、売り上げの問題などが、やっぱりずっと自分の肩にのしかかっているから、社員とかがいたら「食わせないといけない」なんていう風になると思うんです。
その時に、本当はそういう「不安がある」とかっていうことを、「怒り」で出してしまう、というようなことってすごくありそうだな、と思いました。

一滴:
そうなんですよね。
そういったネガティブな感情っていうのは、だいたいの場合、保育器に入った、その人の「傷ついた状態で助けを求める声」になって表に出るんですけど、大抵は「助けて」って言えないんですよね。

それで、怒りになってしまう。

ただ、「ネガティヴな感情」には性質が2つあって、1つは今話していた
「本当は愛情表現したい」「何か与えたい」
という声を出す、ということなんです。
もう1つが、そういう状態をちゃんとよく見てる人がガイドしてあげないと生贄を求めるようなことをするんです。
傷ついた心は生贄を求めるっていう性質があるんですよ。

末吉:
おお〜〜?もうちょっと具体的にいうと?

一滴:
例えば、一年生の時、部活で先輩にいじめられていたとして、三年生になった時、「僕がいじめられてたから、もういじめは辞めよう」とはならないんですよ。

末吉:
また次の犠牲者を。

一滴:
「やられてたから、あいつもやっちまえ」みたいな形になって出てしまう。それが拡大解釈されていくと、いじめだったりとか、もしくは国単位なら、紛争とか戦争とかにも繋がってくるわけです。

末吉:
なるほど。
改めて、感情っていうもののトレーニングが、とても必要だ、ということですよね。
僕が今回、一滴さんに声を掛けようと思ったのも絶対そこだと思っているんです。そこのことをちゃんと学ぶ場だったりとか、教えてくれる人っていうのが世の中には無いな、と思うんですよね。
「お金」とかも、もちろんそうだと思うんですけど、「お金」というテーマに関しては少しずつ、そういう風潮って出てきてるけど、「感情」のことをちゃんと学ぶ、みたいなことは少し遅れてるかなっていう感じがします。
僕の友人とか身内とかにもいますけど、例えば「うつ病」だったりとかっていうのもひっくるめて、カウンセリングに行くとか、心のことを見に行くとかっていうと、なんかちょっと後ろめたくなったりとかしますよね。
それって「感情」のこととか「心」のことを学んだりするっていうことが、まだあまり推奨されてないし、しっかりと整備されてないなっていう感じがするんですよね。

一滴:
海外ではすごく進んでるのにね。日本はなんかパッとしない。

末吉:
っていう感じがしますよね。
なので、今回、もしこの場がそういう風な場になったらすごくいいなっていう風に思うんですよね。

一滴:
面白いね。

末吉:
なので、感情の学校っていう形で一滴先生からいろんな「感情」についてのことを聞いていけたらなという風に思いますよね。

一滴:
楽しみです。

末吉:
ぜひぜひ。最初はこんな感じで。またこういう形でお届けできたらなと思いますので。ぜひぜひよろしくお願いします。

一滴:
よろしくお願いします。ありがとうございました。

末吉:
ありがとうございます。