よかれと思っていたこだわりが、じぶんを縛る鎖になってることがあると知った。じぶんのことは、よくわからぬものです、ほんとに。
— 末吉 宏臣 (@hiroomisueyoshi) April 13, 2017
友人と話をしていて、心から痛感しました。
今回発見してしまったのは、
「ちゃんとしないと」
「責任を取らないと」
「ひとりでやらないと」
そんな言葉が連なった鎖でした。
どれも悪いことではありません。
ある意味では、大切なことです。
だけども、いやだからこそ、
そこが落とし穴になってしまいます。
少なくとも、ぼくの場合は、そうでした。
ぼくの先生は、あの人!?
これらの鎖につながれ、
「気楽なもんだねぇ」
という「適当でいる」ことを
ごっそりと失っていました。
と、ここで、「神さまっているのかなぁ」
と思わざるを得ないような体験が待っていました。
その次に会った友人が、
こんな本を買っていて、
わざわざぼくに見せてきたのです。
なんにも話していないのに(笑)
ちなみに、この本だったと、
何度ウソをつこうと思ったことか。。。
(あ、まだ適当になりきれていないや(汗))
興味やたのしさの赴くままに
もっと具体的には、ぼくに当てはめると、
「これいいよねー! やろうよ!」
と、いろんなプロジェクトやら企画を
どんどん立ち上げていくのができませんでした。
じぶんの興味やたのしさの赴くままに、
動いていくことに、知らず知らずのうちに、
躊躇していたことに気がつきました。
「ひとつずつを、ちゃんとしないといけないでしょ」
「誰にも頼らず、ひとりでやり切らないとダメでしょ」
そんな気持ちや言葉が、
喉の奥の小骨のように、
指に刺さったトゲのように、
ずっと体のなかにあって、
チクチクと痛めつけられていました。
ぼくも、こんな大人になりたいな。
今日もブログに来てくださり、ありがとうございます。
じつは適当な性格だから、ちゃんとしなきゃ、
と思っていたりするんですよね、育つ過程でね。