ぼくと同じ年齢だったころの親父。

珍しく人と会わない一日だ。8時に目覚めて数件のメッセージの返信をしてスパイダーマンの予約を入れたかと思ったら、もう13時だった。ゴソゴソと起きだして、シャワーを浴びて髭をそり身支度をサッと済ませて家を出た。

六本木に着いて、行きたいお店に列ができていたので、ゴーゴーカレーに行き先を変更しペロリとカレーを平らげる。食事を済ませてお水を一杯飲み干しながらスマホアプリ「ほぼ日」を開くと、おもしろそうな対談を発見。

「これでも教育の話?〜どんな子どもに育ってほしいかを、ざっくばらんに。〜」横尾忠則 × 糸井重里

冒頭の、横尾さんの質問がすごい。

横尾
いきなりだけど、
糸井さんのお父さんって、
いつごろ亡くなったの?

突然の質問に、(まだお会いしたこともない)糸井さんが不意打ちを食らったように反応する、糸井さんのお顔やリアクションが目に浮かぶようだった。そこから話はこう続く。

糸井
えっ、なんでそんなことを聞くんですか?
・・・ぼくが33くらいのときかな。

横尾
実は最近、ぼくの父親というべき存在の
アーティストが亡くなったんですよ。
それで、自分のおやじが死んだときのことを
思い出してたんだけど。

ぼく、おやじが死んだときにね、
いちばん恐れてたことなんだけども、
なんだか「解放」されたんだよね。

糸井
解放された。何から?

横尾
おやじが死んで、
「これで自立できる」みたいな気になってね。
まだ自分が海のものとも山のものとも
ついてない年ごろだったから、
何について自立するんだか
よくわからなかったんだけど。
だけれども、とにかく解放された。

一方、糸井さんは・・・

糸井
自立してましたね。
親は、いつもぼくを自立させるために
野放しにするよう心がけていたくらいだから。

ただ、父親が死んだときに
ぼくが自立した大人だったといっても、
そのあとも、実は自分は
もっともっと大人になっていくからね。
だんだん年を取るにつれ、
「ああ、この年のころ、
おやじはこういうことしてたんだな」
というふうに、父親に自分の年のモノサシを
あてるようになったんですよ。
すると「意外と偉いなあ、あの人は」って、
思うようになりました。

全10回に渡る対談の第1回目の冒頭の数行で、ものすごく大きなナニカがドカッと投げ込まれた気分。自分のまわりだけ、重力がほんの少し増したような…。

スパイダーマンを観るために六本木ヒルズに向かう道すがら、自分の年齢を思い出し、親父にモノサシをあてていた。なんとなくぼんやり。すると、六本木ヒルズ手前からなんだか親子連れが心なしか多い気がする。それもそのはず・・・

大量のドラえもんの周りで、楽しそうにはしゃいでいる子どもたち、彼らにあたたかい眼差しを向けるお父さん、お母さん。しばらくの間、ボーッと眺めていた。

たしか、ぼくの年齢のとき、もう親父は「ぼくの親父」になってたんだよな。

頭のなかには、親父に対する聞いてみたいことのような、単なるつぶやきのような、うまく整理できないことばがいくつも浮かんでは消えた。

今年のお盆は、実家に帰省していない。帰省ラッシュを避けて、夏も終わりのころに帰ることにしよう。

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ぼくにとって、親父は大きい存在みたいです。やっとのことで、最近わかってきた気がします。(認められてきた、ということばの方が適切なのかな)親子って不思議な存在ですよね、ほんとに。

こんなエッセイも思い出しました。

→ 「親父からの教え。」

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