最近は、ツイッターをメモ代わりに使っています。
気づきや思いって、ちょうちょのように、ふとしたとき、ひらひらと舞っています。予想もつかない動きをして、すぐにいなくなってしまうもの。
だから、その瞬間につかまえて、「ツイッター」という「虫かご」へ大切に入れておきます。つい先日は、こんなちょうちょをつかまえました。
じぶんは結局のところ、じぶんです。どんな選択をしても、しなくても、それほどちがう人間にはなれないような気がするんですよね。意外と、ね。
— 末吉 宏臣 (@hiroomisueyoshi) April 8, 2017
木村拓哉さんのように、なれはしない。
その人の個性というものは、大枠のところ決まっているような気がします。どこに就職するか、誰と仕事をするのか、どんなパートナーを選ぶのか、という選択によって違った人生になるのは確かなことだと思います。
だけど、選択によって変わるのは全体の5%くらいなもので、残りの95%くらいは同じなんじゃないかと思うのです。たとえば、ぼくが木村拓哉さんのような外見になるのは、どんなに努力してもむつかしいと思います。そこまで極端な例でなくても、これから酪農を大好きになって、仕事にすることは、いかなる選択をしようとも99、999%ありません。またぼくが、ガンガンのオラオラ系には、やっぱりならないと思うのです。
つまり、「結局のところ、じぶんはじぶん」なんですよね。
じぶんであることに、腹をくくれ。
具体的には、個性や趣向、方向性などはほぼほぼ決まっています。ということは、あらかたの部分は決まっているんだから、「もぅ、じぶん自身で勝負するしかないな」と腹をくくってしまうのが得だと思いました。
すると、じぶん以外の何者かに憧れたり、「じぶんなんて」とひねくれることなく、じぶんであることをたのしめるようになるはず。きっと。
今日もブログに来てくださり、ありがとうございました。
だけど、だからこそ、残り5%をなめちゃいけないとも思います。残り5%を淡々と、できるだけたのしいやり方でやっていきたいものです。
今日は、切れていたパスポートの再発行をしてきました。今年から、海外で過ごす時間をふやそうと思います。オススメの国があれば、教えてください。