強迫観念おばけ。

今日、上京していた両親が長崎に帰る。人生初の上京だったのもあり、1週間というロングステイ。(人によっては短いという人もいたけれども)都内ドライブに行ったり、有名ハンバーグ店に並んだり、身体の治療に連れて行ったり、ディズニーランドに行ったり、結婚に向けて両家の顔合わせをしたり、ほんとうに盛りだくさんだったなぁ。

「充実した、いい時間だった」、ここまでの文章を読んだ人なら、続くことばはこれだと思った人も多いんじゃないかと思う。

それはもちろん、そうだ。心の底から、そう思っている。感じている。

だけれどもね・・・、じぶんがイライラしているのもわかる。

そのイライラの原因、なんとなくわかっている気がする。たぶん、「やれてない感」がつきまとっているんだと思う。

じぶんのまわりにある、やるべきことがやれていない感じ。主には、しごとのことだ。そうするといつの間にか、強迫観念おばけみたいなのが、背中に何匹もおぶさっていたりして。(おばけの数え方が匹なのかどうかは検討の余地あり)そうして心も肩も、おも〜く、おもた〜くなってくる。(気がする)

でもだからといって、間違ったことをしているとは思わない。両親との時間を味わうことは、(特にこのタイミングにおいては)大切なことだと思うのだ。

そして、必死に両立しようともしているよ。なんか言い訳がましいかもしれないれどもさ。仕事だってやっている、このエッセイだって書いている。

間違っていることはやっていない。可能な限り、ちゃんとやってもいる。

それでもやっぱり、おばけはおぶさってくる。そして、気が重くなる。イライラしてくる。

そりゃあ、正直にいうと、「おばけ、やだなぁ〜」って気持ちはある。いやいや、そんな軽いことばじゃ、ちっとも足りない。顔が歪んで眉間にシワが寄るほど苦しくだってなるし、憎くて追いはらいたくなる。

でもでも、おばけの側に立ってみた。すると、「おばけ、こわ〜い」とか「おばけ、やだ〜。あっちいけ!」ってやられたら、余計おぶさってやろうと思うだろうな、と。

とここまで書いてきたけれど、まだ答え(みたいなもの)が見えてこない。ので、今夜は眠ることにしよう。おばけのことは、朝に考えるほうがよさそうだから。

ZZZ…

ZZZ…

ZZZ…

目が覚めて、お風呂に入り、満員電車に乗り、しとしと降る雨のなか、仕事場に向けて歩いている。

「期待通りにやれていないんじゃないか?」
「そんなことをやっている場合か?」
「もっとやれるんじゃないか?」

ことばにもならない形で、頭のなかでこだまし続けているこれらの声。

それこそおばけのように怖がって、それらの声を聴こうとしない。そうすると、余計に怖くなったり、悪さをしてきたりするのかもなぁと思った。

だからこの強迫観念の声がなにを言っているのか、耳を傾けよう。一瞬で消えていないくなるわけではないけれど、ずいぶんと仲良くなれる気がする。

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こういうときだからこそ、深呼吸して落ち着いて、一つひとつ進めていきたいと思います。

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