飛ぶ鳥を落とす勢いの人気編集者となった幻冬舎の箕輪厚介さんとラジオ番組をやっている。出版3.0時代の「新しい作家のカタチ」の最新号は、箕輪さんがプロデュースに乗り出している無人島プロジェクトについてだ。その回でこんな内容が語られる。
編集とは、ストーリーをつくること。新しい時代のストーリーは「造られたストーリー」ではなく「ナマモノのストーリー」である。使えるヒントが盛りだくさん。@minowanowa
第11回 無人島プロジェクト|note(ノート) https://t.co/BBABi8AeD8
— 末吉 宏臣 (@hiroomisueyoshi) October 11, 2017
箕輪さんのことばをもとに、ぼくがつくったことばだが、なかなかおもしろい概念だと思う。
「造られたストーリー」から「ナマモノのストーリー」へ。
用意周到に、人の心が動くポイントを盛り込み、狙ってつくられた綺麗なストーリーよりも、時になにかを準備するわけでもなく、何が起こるのかもわからない、狙いもまるでない丸腰の素朴なストーリーのほうが、なんだかよくわかないけど心にとどまる。なーんてことがあるんじゃないだろうか?
あれれ?
あれれれれ?
毎日のように書いているエッセイ的なブログって、後者に当てはまるんじゃないの、と思ったのだ。毎日毎日のことだし、日常のことだから、狙って書くことはできない。数日は狙って書けるかもしれないけど、毎日はやっぱり難しい。さらには、体調やら気分やらの波もあるわけだし。(ここしばらく、個人的にもなかなか大変でありました)
まいにちの出来事 × こころの動き × じぶんの視点 = エッセイ的なもの
この3つの要素のかけ算によって、エッセイ的なものは生まれると考えている。(あくまでも、いまのところは、ということだけれども)
あれ、、、というか、この「エッセイの公式」はこうやって書いていてはじめて言語化できた。思いがけない収穫でうれしいなぁ。
まぁ、その話は置いておいて、毎日(ある程度は定期的に)書かれているエッセイ的なものは、それはもう、ストーリーとも呼べるのではないかと思う。なぜなら、ストーリーの定義にはこう書かれているのから。
ストーリーとは、物語世界の中で起きている出来事が起った時間に沿って並べられたもの。(Wikipediaより引用)
だからもともと、ひとりの人の人生とはストーリーそのもの。さらにそれを、毎日毎日(のように)、文章として書き記したものは、まさしくストーリーと呼べると思うのだ。
そこから、どんなストーリーが紡がれるのか、まったくもって未知数。だけどだからこそ、いままで目にしたものがないものが生まれる可能性だって、きっとある。毎日のように書く人が増えたら、なんだか、おもしろいことになりそうな気がするんだよなぁ、個人的には。
(なんて偉そうなことを、まだまだ毎日書いて3ヶ月のペーペーが、語ることをお許しを)
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あと少しだけ尻尾が残っている風邪のようすを見ながら、少しペースを落とし気味に仕事をしています。今日は体力をつけるために、遅いランチで餃子!
目黒の名店支那そば屋、「かづ屋」さんへ。毎日のランチで、美味しいものを食べると元気出るなぁ。
あ、そういえば、柿内さんのこのランチレポーティング興味深いw
今週のランチ
月曜 乃木坂の「三河屋」
火曜 目黒の「かつ壱」
水曜 神保町の「丸香」
木曜 北参道の「MOKUBAZA」
金曜 未定MOKUBAZAは俺以外みんな女性で、チーズキーマカレーの写真を撮りまくってる。いまや料理も見た目が9割だが、メディア写真と現実は違う。 pic.twitter.com/1T5968WK21
— 柿内芳文(編集者) (@kakkyoshifumi) October 5, 2017
インスタ映え確実の、北参道の「MOKUBAZA」を狙っている。